北星社
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満州 ─七虎力の惨劇─
満州 ─七虎力の惨劇─
四六判上製本196頁
[本体価格1900円+税]
ISBN 978-4-939145-12-4
C0095

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目 次

はじめに
第一章 受難にいたる経緯

  1. 依蘭事変について
  2. 依蘭事変以後の開拓移民
  3. 受難
  4. 開拓団員の戦後
第二章 生き残った母親たち
  1. 七人の母の慟哭の告白(録音テープ)
  2. 愛児を手放した母(聞き書き)
  3. 愛児を売った母(聞き書き)
  4. ああ良樹・修作・正信この母をゆるして(手記・手紙)
  5. 「お母さんもすぐ行くからなぁ……」と叫びながら、次から次に……(手記)
第三章 一九八五「満州」への旅
  1. 私のハルピンと駅あたり
  2. 『満州歳時記』のハルピン
  3. 我的家在東北松花江上
  4. 待業青年と黒い旗袍
  5. 悪夢
  6. 七虎力へ

第四章 戦後五〇周年 日中シンポジウム信州大会において
あとがき

 

書 評

2008年(平成20年)8月17日(日)神戸新聞 「ひょうご選書」より

平和への願い込め
日中の悲劇を追う

 絶対、ひとには知られたくない。しかし語っておきたいと揺れる苦い体験を取材したこちまさこさんの二冊の本が出た。

 いずれも「一九四五年 夏」と題された〈満州〉編と〈はりま〉編の二本立て。中国と日本、同時に二カ所で起きた悲劇を追究する旅のノート。

 こちさんが神戸新聞に週一回「兵庫女風土記」を連載していたのは、女性の社会進出と時を同じくしていた。評判は上々で、意欲に燃えていた矢先、匿名の投書が新聞社に届く。
雑草同様、生きることさえ拒まれている満蒙開拓団の婦人の苦闘からは程遠い記事ではないか、という内容。こちさんはぼう然となった。

 三田局の消印を手がかりに開拓団探しに走った。絶望的に見えたが執念の末、その人にめぐり会う。

 敗戦の日から夜を選び、開拓団の逃亡生活が始まる。足手まといの老人、子ども。集団を守るには自らの手で始末しなければならない、というむごい重圧が主婦たちに差し向けられた。 

 こちさんはその記事を書き、各地の開拓団を次々と取材して歩いた。

 相生の播磨造船所で起きた中国人労務者殺人事件は神戸の華僑の人からの依頼が発端だった。戦時の労働不足から中国人が拉致され各地の軍需工場に配属されていた。播磨造船所にも五百人近い中国人労務者がいた。

 敗戦で立場は逆転。すでに病死人を出していた中国人労務者は、会社に待遇改善の要求を出して交渉する。その最中に、やくざだった日本人工員が密(ひそ)かに三人を殺害、海に投げ込む。これが海外ニュースになったら会社も責めを負う。事件の真相は闇に葬られたのだ。

 真相を知るためにこちさんは歩く。開拓団を哀れに思い隠まってくれた中国人の恩情を別の形で返そうとしたのだろう。

 国は違っても戦争の犠牲者同士。真実を求め、平和への足がかりにしたいと願う熱情がこの二冊に込められている。

市川宏三・詩人

 

著 者 略 歴

こち まさこ

1925年 兵庫県加東郡(現・加東市)社町に生まれる
1947年 医師・古知貞と結婚
1949年 兵庫県神崎郡の無医村へ 主婦として農山村の生活を体験する
その頃、作家・住井すゑと出会う
1954年 夫の開業により姫路に居を移す
1963年 ラジオ関西「兵庫あちこち」の台本取材で県下をまわる
1965年 日中友好医師視察団に同行
以降、日本敗戦直後史と女性史の取材・研究を始める
1967年 神戸新聞に「兵庫女風土記」を連載
元満蒙開拓団の主婦と出会い取材
1971年 毎日・読売・神戸新聞にエッセイを連載
1992年 姫路獨協大学女性学非常勤講師(~1999)
1993年 播磨学研究所「姫路戦後地図をつくる会」を結成し、空襲前後の姫路市街図と聞き書き、上・下二冊を出版
1995年 『姫路医師会史』編纂に従事(~1999)
2008年 第30回姫路市芸術文化賞受賞